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2006年12月10日 (日)

「裁判員制度」への怒り(その4)1人の被疑者に100人の善人が動かされる

 このような不合理な制度が、長続きするわけはないと思います。

 戦後間もなく始まった、国立大学進学を希望する人が必ず受けなければならなかった「進学適正検査」、数年で廃止され、「共通一次試験」と名前を替えました。今は「センター試験」と呼ばれていますが、高校の必修単位未履修問題から、そのあり方に疑問が持たれています。

 自動車運転免許証の更新時に、精神科医の証明書が必要な時期もありました。この制度は、さすがに極短期間で廃止されました。

 いわゆる有識者といわれる方々による審議会の答申によって始まったこれまでの制度改革も、合理性に欠ける制度は長続きしていません。

 

 

2006年12月 9日 (土)

「裁判員制度」への怒り(その3)これは強制労働

 義務としての裁判員は明らかな強制労働です。

 だからどうだっていうの?と言われてしまいそうですが、このような事への寛容さが、子供たちの間のイジメの要因の一つになっているように思います。

 自分の権利や自由を大切にしない人が、自分以上に他人の権利や自由を大切にするとは思えないからです。

2006年11月23日 (木)

「裁判員制度」憲法違反の疑い(その6)第76条関係

憲法第76条[司法権、裁判所、特別裁判所の禁止、裁判官の独立]①項、②項省略 ③すべての裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

 「裁判員」は「法律」なのでしょうか。

 裁判官と裁判員の合議体における評決は、構成裁判官及び裁判員の双方の意見を含む合議体の員数の過半数の意見による、とされています。

 有罪・無罪の判断、量刑の判断において、裁判官が裁判員の意向に拘束されるのは明らかです。

 フランスの英雄ナポレオンあたりならば、「俺が法律だ」と言ったかも知れませんが、たまたま、くじ引きで当たっただけで裁判員に任命された庶民は、「自分が法律」とは夢にも思わないのではないでしょうか。

 

2006年11月17日 (金)

憲法に違反した制度も、国民がおとなしく従えばそれまで

 「裁判員制度」法制化の過程を見ると、裁判員の義務化について、どの段階でも憲法との整合性について論議された形跡は見あたりません。

 このことからも明らかなように、国民は自分の権利は自分で守るしかないのです。最高裁も、個人個人が具体的な権利侵害を訴えない限り、憲法判断はしてくれません。

 したがって、本来裁判員の義務化のように、国民生活に直接重大な支障をもたらすような事項は、国民投票で決めるように制度化されているべきではないでしょうか。

 幸いなことに、「裁判員制度」については、最高裁裁判官の「国民審査」が国民投票と同じ役割をしてくれます。

 昨年の総選挙でも「国民審査」が実施されていたのですが、当時はまだ最高裁が「裁判員ブックレット」を発行していることは、あまり知られていなかったので、「裁判員制度」と「国民審査」との関連に気づく人は少なかったのだと思います。

 存在意義に疑問の声も聞かれる「国民審査」ですが、次の総選挙では注目を浴び、その存在意義が見直されることになれば、これに過ぎることはないように思います。

 

 

 

 

 

2006年11月16日 (木)

法律のみによる国民への新しい制度の義務化は原則的に総て憲法違反

 日本国憲法は、国民に「自由及び幸福追求の権利」を保障しています。ただ一つの例外が「公共の福祉」に反する場合です。

 裁判員になることを拒んで、自宅でのんびりと「自由」を楽しんでいたり、より「幸せ」になりたいために勉学に勤しんだり、額に汗して働いていたりすることが、「公共の福祉」に反する行為になる訳がありません。

 もし、このようなことが「公共の福祉」に反すると言われるのであれば、先の大戦中、防火演習や竹槍訓練に参加しないと「非国民」と呼ばれたことと同じような雰囲気を感じます。

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