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2006年12月10日 (日)

「裁判員制度」への怒り(その4)1人の被疑者に100人の善人が動かされる

 このような不合理な制度が、長続きするわけはないと思います。

 戦後間もなく始まった、国立大学進学を希望する人が必ず受けなければならなかった「進学適正検査」、数年で廃止され、「共通一次試験」と名前を替えました。今は「センター試験」と呼ばれていますが、高校の必修単位未履修問題から、そのあり方に疑問が持たれています。

 自動車運転免許証の更新時に、精神科医の証明書が必要な時期もありました。この制度は、さすがに極短期間で廃止されました。

 いわゆる有識者といわれる方々による審議会の答申によって始まったこれまでの制度改革も、合理性に欠ける制度は長続きしていません。

 

 

2006年12月 8日 (金)

「裁判員制度」への怒り(その2)NHKハイビジョン特集「取り残された民衆」元関東軍兵士と開拓団家族の証言ーを観て

 65年前の今日、日本はいわゆる太平洋戦争を開始しました。この戦争に負けてみると、実は当初からこの戦争には疑問を抱いていた、という人が大勢おられたようです。でも、現実にはそれらの人たちは戦争を止めることはできませんでした。

 これから始まろうとしている「裁判員制度」についても、疑問を抱いている人、裁判員にはなりたくない、という人は大勢おられます。65年前と違って、主権は国民にあるのに、なぜこの流れを止めることはできないのでしょうか。私たちの意識は、65年前と少しも違っていないのでしょうか。

 国家が進めることが、必ずしも国民の幸せに結びつくとは限らないと、今日のハイビジョン特集を観て、強く思いました。たとえ少数の人でも、くじに当たった人は、確実に私生活の一部を犠牲にしなければならないのです。 

2006年11月23日 (木)

「裁判員制度」憲法違反の疑い(その6)第76条関係

憲法第76条[司法権、裁判所、特別裁判所の禁止、裁判官の独立]①項、②項省略 ③すべての裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

 「裁判員」は「法律」なのでしょうか。

 裁判官と裁判員の合議体における評決は、構成裁判官及び裁判員の双方の意見を含む合議体の員数の過半数の意見による、とされています。

 有罪・無罪の判断、量刑の判断において、裁判官が裁判員の意向に拘束されるのは明らかです。

 フランスの英雄ナポレオンあたりならば、「俺が法律だ」と言ったかも知れませんが、たまたま、くじ引きで当たっただけで裁判員に任命された庶民は、「自分が法律」とは夢にも思わないのではないでしょうか。

 

「裁判員制度」憲法違反の疑い(その5)第37条関係

憲法第37条[刑事被告人の諸権利]すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。②項、③項省略

 いろいろな考え方を持つ国民を、裁判員として無作為(立前として)に6人選んで刑事裁判に従事させた場合、果たして公平な裁判が保障されるのか疑問です。

 最高裁は当初、陪審制度については誤判率が高いとして反対の意向だったとのことです(丸田隆著「裁判員制度」平凡社新書81頁~)。では裁判員制度なら誤判率が低いかというと、それは単にデータが無いだけです。ただ、裁判員制度なら、本職の裁判官の判断が入るので、誤判率は低いだろう、というだけのことではないかと思います。

 しかし、これまでは3人の裁判官の意見が分かれた場合、多数意見が通ったはずです。しかし、裁判員制度のもとでは、本職の裁判官の少数意見の方が通こともあり得るのです。

 素人の意向が裁判に反映された場合の誤判率については、アメリカにおける陪審制度の場合よりも低いという保障は、どこにも無いように思います。

2006年11月21日 (火)

「裁判員制度」憲法違反の疑い(その4)第19条関係

憲法第19条[思想及び良心の自由]思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

 「人を裁きたくない」「自分には人を裁く資格がない」という人を、強制的に裁判員の職務に従事させるのは、明らかに国家権力による思想及び良心の自由の侵害だと思います。

 第3次小泉内閣時代の法務大臣で、初閣議後の記者会見の席において、死刑の執行命令書にはサインしないと明言された方がおられました。この発言はすぐに撤回されましたが、実態的にはこの大臣のご在任中、死刑が執行されたという報道には接していません。

 このように法務大臣の思想・信条を尊重してきた法務省が、国民に向かってだけ、自己の信条に反する裁判員の職務への従事を強制するのは、御門違いではないでしょうか。

2006年11月20日 (月)

「裁判員制度」憲法違反の疑い(その3)第18条関係

第18条[奴隷的拘束及び苦役からの自由] 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

 「人を裁きたくない」という人にとって、裁判員の職務は苦役と感じるかも知れず、その気持ちは本人にしか判りません。いじめの場合、いじめている人がいじめているとは思っていない場合もあるのと同じです。

 この憲法の条文を受けて、労働基準法では、もっと踏み込んで次のように規定しています。

(強制労働の禁止)第5条 使用者は、暴行、脅迫、監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段によって、労働者の意志に反して労働を強制してはならない。

 労基法は裁判員に直接適用される法律ではありませんが、憲法第18条の精神は、総ての国民に適用されるべきだと思います。

2006年11月19日 (日)

「裁判員制度」憲法違反の疑い(その2)第14条関係

第14条[法の下の平等、貴族制度の否認、栄典の] すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。②項、③項 省略

 法学部の教授等、社会的身分により裁判員になる義務を免除しているのは、明らかに憲法違反と考えられます。

2006年11月18日 (土)

「裁判員制度」憲法違反の疑い(その1)第13条関係

 憲法第13条[個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重] すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 裁判員になることを拒むことが、「公共の福祉」に反する行為とはどうしても思われません。

 もし、裁判員の職務を果たすことが、「公共の福祉」に役立つとしても、(論理的に言って)果たさないことが「公共の福祉」に反することにはならないのです。

2006年11月17日 (金)

憲法に違反した制度も、国民がおとなしく従えばそれまで

 「裁判員制度」法制化の過程を見ると、裁判員の義務化について、どの段階でも憲法との整合性について論議された形跡は見あたりません。

 このことからも明らかなように、国民は自分の権利は自分で守るしかないのです。最高裁も、個人個人が具体的な権利侵害を訴えない限り、憲法判断はしてくれません。

 したがって、本来裁判員の義務化のように、国民生活に直接重大な支障をもたらすような事項は、国民投票で決めるように制度化されているべきではないでしょうか。

 幸いなことに、「裁判員制度」については、最高裁裁判官の「国民審査」が国民投票と同じ役割をしてくれます。

 昨年の総選挙でも「国民審査」が実施されていたのですが、当時はまだ最高裁が「裁判員ブックレット」を発行していることは、あまり知られていなかったので、「裁判員制度」と「国民審査」との関連に気づく人は少なかったのだと思います。

 存在意義に疑問の声も聞かれる「国民審査」ですが、次の総選挙では注目を浴び、その存在意義が見直されることになれば、これに過ぎることはないように思います。

 

 

 

 

 

2006年11月16日 (木)

法律のみによる国民への新しい制度の義務化は原則的に総て憲法違反

 日本国憲法は、国民に「自由及び幸福追求の権利」を保障しています。ただ一つの例外が「公共の福祉」に反する場合です。

 裁判員になることを拒んで、自宅でのんびりと「自由」を楽しんでいたり、より「幸せ」になりたいために勉学に勤しんだり、額に汗して働いていたりすることが、「公共の福祉」に反する行為になる訳がありません。

 もし、このようなことが「公共の福祉」に反すると言われるのであれば、先の大戦中、防火演習や竹槍訓練に参加しないと「非国民」と呼ばれたことと同じような雰囲気を感じます。

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