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2006年12月10日 (日)

「裁判員制度」への怒り(その4)1人の被疑者に100人の善人が動かされる

 このような不合理な制度が、長続きするわけはないと思います。

 戦後間もなく始まった、国立大学進学を希望する人が必ず受けなければならなかった「進学適正検査」、数年で廃止され、「共通一次試験」と名前を替えました。今は「センター試験」と呼ばれていますが、高校の必修単位未履修問題から、そのあり方に疑問が持たれています。

 自動車運転免許証の更新時に、精神科医の証明書が必要な時期もありました。この制度は、さすがに極短期間で廃止されました。

 いわゆる有識者といわれる方々による審議会の答申によって始まったこれまでの制度改革も、合理性に欠ける制度は長続きしていません。

 

 

2006年12月 9日 (土)

「裁判員制度」への怒り(その3)これは強制労働

 義務としての裁判員は明らかな強制労働です。

 だからどうだっていうの?と言われてしまいそうですが、このような事への寛容さが、子供たちの間のイジメの要因の一つになっているように思います。

 自分の権利や自由を大切にしない人が、自分以上に他人の権利や自由を大切にするとは思えないからです。

2006年12月 8日 (金)

「裁判員制度」への怒り(その2)NHKハイビジョン特集「取り残された民衆」元関東軍兵士と開拓団家族の証言ーを観て

 65年前の今日、日本はいわゆる太平洋戦争を開始しました。この戦争に負けてみると、実は当初からこの戦争には疑問を抱いていた、という人が大勢おられたようです。でも、現実にはそれらの人たちは戦争を止めることはできませんでした。

 これから始まろうとしている「裁判員制度」についても、疑問を抱いている人、裁判員にはなりたくない、という人は大勢おられます。65年前と違って、主権は国民にあるのに、なぜこの流れを止めることはできないのでしょうか。私たちの意識は、65年前と少しも違っていないのでしょうか。

 国家が進めることが、必ずしも国民の幸せに結びつくとは限らないと、今日のハイビジョン特集を観て、強く思いました。たとえ少数の人でも、くじに当たった人は、確実に私生活の一部を犠牲にしなければならないのです。 

2006年12月 4日 (月)

「裁判員制度」への怒り(その1)任天堂新型ゲーム機Wii(ウィー)を買う行列に徹夜で並んで

 12月1日の夕刻から、家電量販店前のWiiを買う行列に加わりました。周囲は防寒具に身を包んだ若者でいっぱいでした。寝袋にくるまって横になっている人、コンクリートの床の上に直に座り、うずくまって寒さに耐えている人、仲間と談笑している人、DSでゲームをしている人など、様々に発売時刻のくるのを待ちわびていました。

 誰に、何の権利があってこの人たちの自由と権利を侵害して裁判員の職務を強要するのか、私はこみ上げてくる怒りで、寒さを忘れていました。

 小泉純一郎前首相の時代になってから、「何でもあり」が許容される世の中になったように感じているのは私だけでしょうか。

 その小泉さんの言葉を借りれば、裁判員制度を「ぶっつぶす」、そういう気概を国民の多くが持ったらいいなと思いながら、Wiiの販売が始まるのを待ち続けていました。

 次の衆議院議員総選挙と同時に行われる、最高裁裁判官の「国民審査」は、国民が「裁判員制度」に反対の意思表示ができる唯一の機会です。

 その方法は、裁判員制度を推進している現最高裁裁判官のうち、国民審査の対象になっている裁判官全員に×印を付けることです。国民の多くが×印を付ければ、「裁判員制度」は間違いなく後退させられます。

 「郵政民営化」ですら、国民は直接賛否を問われました。人数は少ないですが、くじに当たった人が、「郵政民営化」よりももっと深刻な影響を受けることは間違いありません。

 「裁判員制度」も、国民に直接賛否の意思表示をする機会が与えられて当然です。その機会が、最高裁裁判官の「国民審査」です。

 

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